日本史

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仏教伝来をめぐる二つの説 「戊午説」「壬申説」 信憑性が薄い理由

仏教はいつ日本に入ってきたのでしょうか?

高校の日本史の教科書によると、二つの説があります。

 

  • 戊午説…538年 「日本書紀」が根拠だが、この年は南都六宗三論宗で説く末法第一年と重なり、それにあわせた可能性があること、「金光明最勝王経」の一節をかきかえた作文がまじっていることから信頼性が薄い

 

  • 壬申説…552年 「元興寺縁起」、聖徳太子の伝記「上宮聖徳法王帝説」が根拠。「日本書紀」より古い伝記にもとづいて書かれていることや、当時の朝鮮半島の政治情勢からみて不自然ではないので有力。

※この仏教伝来をめぐる二つの説、つまり聖明王以前よりもはやく民間には仏教が伝わって広まっています。このことは古墳から出土する仏像をえがいた銅鏡から明らかです*1

 

なぜ、「金光明最勝王経」をかきかえた作文がまじえると、信頼性の薄い学説だとみなされるのでしょうか。いったい「金光明最勝王経」とは?

 

日本書紀は養老4年(西暦720年)に完成した日本に現存する最古の正史といわれています。その歴史の範囲は神話的性格の神代記から持統天皇の時代までで、年月順に歴代天皇や、歴史上の事件が漢文で記録されています。

 

しかし持統天皇や、日本書紀に記録されている天皇が実在したか否かは議論がわかれている状態です。日本書紀古事記より、はるかに広範な資料に基づいて作成されています。

 

たとえば、「帝紀」、「旧辞」のほか朝廷の記録や個人の手記、中国の史書朝鮮半島史書です。さらに天武・持統紀以降の記述では、朝廷の日々の記録などがあり、信憑性のある史書といわれています。

 

しかし、「光明経最勝王経」は、703年に唐の義浄によって漢訳された仏教の経典で、この経典は718年に帰国した道慈から日本に伝わったと考えられています。

 

そのため、538年に仏教が日本に伝わったのだと考える戊午説は、金光明最勝王経の作文を書き換えてまじえていることから、かなり信憑性が薄い学説なのです。*2*3