仏教伝来をめぐる二つの説 「戊午説」「壬申説」 信憑性が薄い理由
仏教はいつ日本に入ってきたのでしょうか?
高校の日本史の教科書によると、二つの説があります。
※この仏教伝来をめぐる二つの説、つまり聖明王以前よりもはやく民間には仏教が伝わって広まっています。このことは古墳から出土する仏像をえがいた銅鏡から明らかです*1
なぜ、「金光明最勝王経」をかきかえた作文がまじえると、信頼性の薄い学説だとみなされるのでしょうか。いったい「金光明最勝王経」とは?
「日本書紀」は養老4年(西暦720年)に完成した日本に現存する最古の正史といわれています。その歴史の範囲は神話的性格の神代記から持統天皇の時代までで、年月順に歴代天皇や、歴史上の事件が漢文で記録されています。
しかし持統天皇や、日本書紀に記録されている天皇が実在したか否かは議論がわかれている状態です。日本書紀は古事記より、はるかに広範な資料に基づいて作成されています。
たとえば、「帝紀」、「旧辞」のほか朝廷の記録や個人の手記、中国の史書、朝鮮半島の史書です。さらに天武・持統紀以降の記述では、朝廷の日々の記録などがあり、信憑性のある史書といわれています。
しかし、「光明経最勝王経」は、703年に唐の義浄によって漢訳された仏教の経典で、この経典は718年に帰国した道慈から日本に伝わったと考えられています。
そのため、538年に仏教が日本に伝わったのだと考える戊午説は、金光明最勝王経の作文を書き換えてまじえていることから、かなり信憑性が薄い学説なのです。*2*3